場面緘黙症だった筆者は、頭の中で「ことば」が渦巻いていてもそれを上手く口から出す術を持たずにいた。
行き場のないことばたちは、手指を動かして吐き出されることとなった。
当時の筆者は、外へ出かけ大学の同級生と会うとそれなりに何かのことばが生まれたが口から音として出ることはなく、携帯電話の小指の先ほどのキーを叩いてことばを外に逃してやった。 そうしなければ、頭の中がことばの圧で爆発してしまいそうなほどだった。
逃がされたことばはさえずりとしてインターネットのストリームを流れていった。 それらのことばはもうオンラインにはなく、筆者の手元にアーカイヴとして残されるのみである。
携帯電話の電池がなくなったり、電波の繋がらない場所にいるときは小さい帳面を取り出してそこに書き殴りさえしていたくらいだった。 それだけことばの圧は強く、それなのに唇は開くことがなかった。
それから10年近く経って、筆者の声は人の聞くところとなっている。 それでも書くという習慣は残り続け、今日も何かしらのことばをマイクロブログのタイムラインに流し、少し長い文章をノートに書いている。