わたしの職場の近くでは定期的に植物の即売会をやっている。

昼休みにふと覗いたブースは苔玉や苔テラリウムを扱っていた。 苔テラリウムは小さく、デスクの端にも置いておけそうなサイズ。

そういえばストレスの対処法の記事では、緑を目に入る場所に置いておくのがいいとあった。

ネットを見ると苔テラリウムキットもあるようだが、小瓶に土と苔を詰めるのであれば自分でも好みの物が作れそうではある。 幸い行動範囲内で苔を扱っている観葉植物屋を知っていた。

週末は苔テラリウム作りだな、とわたしは頭の中のスケジュール帳に書き込んだ。

土曜日、自転車に乗って街を駆け巡る。 100円均一ショップで小瓶と苔を摘むためのピンセットを購入。 ホームセンターで砂と土、時々入荷している苔のパックを確認したがこれはその日は取り扱いがなかった。 そして観葉植物屋では念願の苔を何種類かパックに入ったものを手にいれる。

あとは瓶に土を詰めて苔を植えるだけだ。

土と砂は適当にブレンドして瓶に押し込んだ。

苔を植えるのは細かい作業で案外難しかった。 新聞紙を敷いた自室の床でああでもないこうでもない、と試行錯誤しながら細かい苔をつまんで土に押し込んでいく。 最初は土の上に乗っているだけにしか見えない苔も水と光があればそのうち根付いて固定されていくらしい。 しばらくいじくりまわしたが、適当なところで切り上げることとする。

2つの瓶の苔テラリウムが完成した。

しばらくその苔テラリウムは、わたしのデスクの端で植物用ライトにより照らされていた。

ときどき蓋を開けて、霧吹きで水をスプレーする。 しっとりと濡れた苔の緑は濃く、LEDの光を反射してらてらと光る。 じっと観察すると苔の茎の部分がまるで手を伸ばしているようだった。

「思ってるより生きとるな、こいつ……」

なんとなく苔の生命感をぴりぴりと感じてしまう。

そもそも苔という植物は、ちぎれてしまっても環境が合えば復活してまたコロニーを作り始めるようないきものなのだ。 それは一度パック詰めされた苔でも土の上に配置してしばらくしたら根付くことでも証明されている。

そう考えるとこちらが見ているのではなく、にゅっと伸びた苔の葉の一枚一枚にまるで観察されているようだ。

わたしは苔に圧倒された。

その夜。

仏前用の豆ろうそくを拝借し、自室で簡易の燭台に立てて火をつけた。

豆ろうそくと同じくらいの高さの炎がすっと伸びわずかに揺れる。 小さな光が周りを照らし、苔テラリウムの瓶に反射してオレンジ色に染めた。

そんな様子を眺めているうちに豆ろうそくはどんどん縮んでいく。 それでもほとんどろうの部分がなくなって芯しかないのではないかと思うくらいになっても、まだ炎は揺れている。 10分ほどだろうか、最後には炎が大きく伸びて、そしてふっ…と消えた。

「生より静だ」

わたしは言った。